PROFILE
自己紹介
◾️STATEMENT
これまで私は、人体と線をモチーフに制作を行ってきた。
有機的な存在である肉体と、無機的にも見える線を交差させることで、
それらを一つの画面の中に内包してきた。
本展では、その探究の延長として「枯れた木」をモチーフに選んだ。
枯木や流木は、かつて生きていた痕跡を持ちながら、すでに生命活動を終えた存在である。
そこには、有機性と無機性が同時に内包されている。
本展では、抽象と具象の線を重ねることで、
有機性と無機性が一つの構造として重なり合う状態を描く。
———————ヨコイジュウ
1997年東京生まれのヨコイジュウは、武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒という出自を持ちながら、
大学在学中は課題をほぼ放棄し、ジムでの肉体鍛錬に没頭したという異色の経歴を持つ。
ブラック企業を半年で辞めた後、「一度の人生、絵で生きる」と決意し、
ツテのない状況からSNSを軸に独力でキャリアを築いたこの若手画家は、
今日やっと「精神の肉体派」という自らの言葉が最も的確に響く存在として注目されている。
彼の核心は、ボールペン一本によるフリーハンド線描にある。
定規を一切用いず、手だけで等間隔の直線・曲線を繰り返し、
複雑な有機的フォルムの上に無機質な規則性を重ねる技法は、
すでに「人間プリンター」の域に達している。
線1本1本に身体制御と集中力が刻み込まれ、密度の積層によって生まれる濃淡と立体感は、
単なる技巧を超えた身体性そのものを表出させる。
大学時代の筋肉労働が、線の張力やリズムとして還元されている点は、まさに彼の制作の本質と言える。
これまでの制作は、主に人体の有機的な躍動と、
規則的で機械的な線の交錯を一画面に内包することに主眼が置かれてきた。
生命の脈動と構造の冷徹さを同時に視覚化する試みは、写実の域を超えた精神性と物質性の緊張を生み出してきた。
しかし本展「Drift」において、その探究は新たな位相を迎えている。
モチーフを「枯れた木」や流木へと移行させた点が決定的だ。
かつて生命を宿し、今はそれを終えた存在、有機性の残滓と無機性の支配が同居するこの形象は、
ヨコイジュウのテーマである「生と死」「柔と剛」「動と静」の二元性を、より静謐かつ本質的に体現する。
抽象的な規則線と具象的な描写線を幾重にも重ねることで生まれる構造は、相反する要素が融和し、
一つの不可分の「状態」として結晶化する瞬間を捉えている。
これは単なるモチーフの変更ではなく、作家の視線が「人体」という直接的な肉体性から、
時間と痕跡が刻まれた「存在の残像」へと深化した証拠である。
ヨコイジュウの線は、ただ精密であるだけではない。
それは「描く」行為を通じて、作家自身が有機と無機、生命と死滅の狭間に身を置くことを可能にする装置なのだ。
本展では、長年磨き上げてきた技法が、静かなる力強さをもって新たな次元を開く。
SNS時代に独力でここまで到達した若手画家の、現在の到達点であり、
同時にさらなる飛躍を予感させる転換点として、「Drift」は強く記憶されるべき展覧会となるだろう。
会場で作品を前にしたとき、線の振動と深みを直接体感してほしい。
写真では決して伝わりきらない、身体と精神が交差する静かなドラマが、そこに確かに存在している。
———————Curator 米原康正
◾️PROFILE
<FUSE >
1997年 東京に生まれる。
2020年 武蔵野美術大学油絵学科版画専攻を卒業。
しかしコロナ禍や親の病気などが重なりニート。
2021年 SNSを活用し画家として活動を開始。
これまで私は、人体と線をモチーフに制作を行ってきた。
有機的な存在である肉体と、無機的にも見える線を交差させることで、
それらを一つの画面の中に内包してきた。
本展では、その探究の延長として「枯れた木」をモチーフに選んだ。
枯木や流木は、かつて生きていた痕跡を持ちながら、すでに生命活動を終えた存在である。
そこには、有機性と無機性が同時に内包されている。
本展では、抽象と具象の線を重ねることで、
有機性と無機性が一つの構造として重なり合う状態を描く。
———————ヨコイジュウ
1997年東京生まれのヨコイジュウは、武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒という出自を持ちながら、
大学在学中は課題をほぼ放棄し、ジムでの肉体鍛錬に没頭したという異色の経歴を持つ。
ブラック企業を半年で辞めた後、「一度の人生、絵で生きる」と決意し、
ツテのない状況からSNSを軸に独力でキャリアを築いたこの若手画家は、
今日やっと「精神の肉体派」という自らの言葉が最も的確に響く存在として注目されている。
彼の核心は、ボールペン一本によるフリーハンド線描にある。
定規を一切用いず、手だけで等間隔の直線・曲線を繰り返し、
複雑な有機的フォルムの上に無機質な規則性を重ねる技法は、
すでに「人間プリンター」の域に達している。
線1本1本に身体制御と集中力が刻み込まれ、密度の積層によって生まれる濃淡と立体感は、
単なる技巧を超えた身体性そのものを表出させる。
大学時代の筋肉労働が、線の張力やリズムとして還元されている点は、まさに彼の制作の本質と言える。
これまでの制作は、主に人体の有機的な躍動と、
規則的で機械的な線の交錯を一画面に内包することに主眼が置かれてきた。
生命の脈動と構造の冷徹さを同時に視覚化する試みは、写実の域を超えた精神性と物質性の緊張を生み出してきた。
しかし本展「Drift」において、その探究は新たな位相を迎えている。
モチーフを「枯れた木」や流木へと移行させた点が決定的だ。
かつて生命を宿し、今はそれを終えた存在、有機性の残滓と無機性の支配が同居するこの形象は、
ヨコイジュウのテーマである「生と死」「柔と剛」「動と静」の二元性を、より静謐かつ本質的に体現する。
抽象的な規則線と具象的な描写線を幾重にも重ねることで生まれる構造は、相反する要素が融和し、
一つの不可分の「状態」として結晶化する瞬間を捉えている。
これは単なるモチーフの変更ではなく、作家の視線が「人体」という直接的な肉体性から、
時間と痕跡が刻まれた「存在の残像」へと深化した証拠である。
ヨコイジュウの線は、ただ精密であるだけではない。
それは「描く」行為を通じて、作家自身が有機と無機、生命と死滅の狭間に身を置くことを可能にする装置なのだ。
本展では、長年磨き上げてきた技法が、静かなる力強さをもって新たな次元を開く。
SNS時代に独力でここまで到達した若手画家の、現在の到達点であり、
同時にさらなる飛躍を予感させる転換点として、「Drift」は強く記憶されるべき展覧会となるだろう。
会場で作品を前にしたとき、線の振動と深みを直接体感してほしい。
写真では決して伝わりきらない、身体と精神が交差する静かなドラマが、そこに確かに存在している。
———————Curator 米原康正
◾️PROFILE
<FUSE >
1997年 東京に生まれる。
2020年 武蔵野美術大学油絵学科版画専攻を卒業。
しかしコロナ禍や親の病気などが重なりニート。
2021年 SNSを活用し画家として活動を開始。